嫌韓への道
多くの人が嫌韓へと変化した道筋は同じではないか。雑ではあるがその流れを書いてみる。
①軍事政権時代 かの国は隣の国であってもほとんど興味の対象外。助平な日本のおっさんが週末になるとキーセン観光(売春ツアー)に出かけていた。帝国主義の流れの中で無理矢理朝鮮を併合(植民地ではありません)し、創氏改名を強制したなどと私の頭の中も自虐史観に洗脳されていた。
②河野談話 まだ自虐史観から抜け出せず、当然の事と思っていた。今にして思うと、リベラルとかハト派とかいう連中のひどさに呆れると同時に、古い体質の国会議員によるなあなあ(事なかれ)主義により、かの国の恫喝に毎回金で応えていた情けなさにガッカリする。
③韓流ブーム かの国と日本の一部によって作り出されたブームで、かの国がグッと身近になった。テレビでは連日のようにかの国の食レポなどが流され、またぺ様人気も沸騰。実は私はこのブームには乗れていない。少し遅れて加わった。
④嫌韓流 かの国の事が知りたくなり、いろいろと調べていたらこの本が見つかった。当時ベストセラーであったにも拘らず、多くのマスコミが黙殺。かの国の執拗な反日が見えてきて、それまでの自虐史観を見直すきっかけになった。作られた韓流ブームが、実は嫌韓を呼び起こしたという皮肉。
⑤いわゆる従軍慰安婦問題 河野談話について、当時はそんなに考えもせず当然と思っていた事が、実は日本をここまで貶める事になっていようとは。朝日が主導した強制連行から今は普遍的な人権侵害へと形を変えて、相変わらず日本バッシングを続けているかの国。生まれてすぐに反日を叩き込む恐ろしさ。自由な考えを持てないため、反日に凝り固まる国民。そんな事で自分の価値は上がらない事に早く気付くべきだ(気付いているかも)。
⑥知韓 今は嫌韓と言われているが、実はかの国について理解が進んだと見るべきで、知韓と言うのが正しいのかもしれない。ただ、この響きが痴漢と同じというのがちょっと気になるところ。それはさておき、安倍ちゃんの戦後レジームからの脱却は危なっかしいところもないではないが、かの国の恫喝に応えないところは評価しても良いのでは。これまで安直に妥協(金)を引き出してきたかの国からすると、簡単には引き下がれないので更に反日が先鋭化していくのは目に見えている。行きつく先はまだ分からないが、腰砕けになって変な妥協をして欲しくない。もしそうなれば、今後日本は世界に顔向け出来なくなる。
隣が嫌でも引っ越せなければ、それなりの付き合いは必要だが
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